2021-01-05
写真撮影と修正と自己肯定感
一般人の大人の写真を撮り続けて今年で10年めになります。
ちなみにここで言う「一般人の大人」とは、芸能人とかモデルとか、見られて撮られることを仕事としていない大人のことを指しています。
その中でも特化して撮り続けているのは「仕事を通して人の役に立ちながら自己実現を目指す大人たち」で、要は個人事業主やフリーランス、起業家や経営者の方たち。お勤めの方も多いです。
このような方達を撮る中で、この約10年感じてきたことがあります。
写真撮影や写真の加工修正に対する認識は、その人の自尊感情・自己肯定感が少なからず影響していること。
それは決して良いとか悪いとかの話ではなく、撮影する全ての人が自己実現に向かって懸命に前を向く過程であり、それはどんな時も尊く美しいものと捉えています。
写真撮影と修正と自己肯定感
結論から申しますと
その人が自信を取り戻し、少しでも自己肯定感が上がって前に進めるなら、写真の加工修正もありだと思います。
写真の加工や修正に関しては様々なご意見があろうかと思いますし、人を撮り始めた当初は、スタジオがまだなかったこともありますが、修正せずにお渡ししていました。
10年前は全てが出張撮影で、修正や加工をせず写真をお渡しできること=そのままが素敵であることの「証」のように思い込んでいたふしがありますが、自分の経験や技術的な未熟さもあったかと自覚しています。
写真撮影も自己実現の過程に過ぎない
しかし、仕事を通して自分らしく輝きたい、と懸命に生きる人たちを撮り続けていくうち、目の前の人が自信を取り戻し進んでいけるのであれば、修正の有無などに囚われることはないと思うようになりました。
ただし、その加工修正は、あくまでもその人らしさを失わず、限りなくナチュラルで美しい、が重要。
自分を偽るほどの加工修正は逆に自信を失いかねませんし、現実逃避に向かってしまうと本末転倒。それでは良いとは言えません。
具体的な加工修正は
しわ、シミ、肌、歯、体のラインなどですが、必要を感じた時、希望された時に行い、あくまでもその人らしさ、その人の美しさを維持・大切にします。
顔や体は、オギャアと生まれてこのかた、何十年も使ってきたもの。
10代の時のような「若さ」はないかもしれないけれど、その代わりに得られた「年輪や皮製品のような味わい深さ」があり、今も毎日動いてくれている大事な大事な体です。
モニターを確認しながら修正をする時も、それまでの人生過程に敬意と愛情を持って労い、その人の味わいが出る写真にしたいと願い、いつも仕上げています。
そうして、その人の「味」と「らしさ」がちゃんと滲み出た美しい写真は、きっと良いエネルギーを放ち、必要な人に届いていくと信じています。
実際、撮影後にどんどん自信を取り戻し、自由に軽やかに活躍している女性たちを本当にたくさん見てきて、あの時の撮影がきっかけの一つになれているのなら何よりも嬉しいことと、いつも陰ながらその活躍を嬉しく拝見しています。
結果、写真撮影をきっかけに自己肯定感が上がったと、ご感想や行動から感じられる人たちが多いことを見ると、仕事用の写真撮影と言うのは、単なるビジネス用撮影というだけでなく、なりたい未来を引き寄せ自己実現に向かうための未来の先撮りでもあると確信しています。
〇〇見られたい、という固定概念
自己肯定感は、特に女性に関しては外見と直結することも多く、中でもほとんどの女性は、自分が太っているように写るのは嫌です。私もそう。
だからよほどスリムな人以外は、言われなくてもできるだけスリムに写るように撮ります。
ただ、それはやはり人それぞれであり、私自身の固定概念でもあったことを思い知らされた、ある経験があります。
ある女性を撮影した体験より
以前、体型がふくよかな女性を撮ったことがあります。
その体型は「ぽっちゃりさん」と言うよりも、もう少し「ふくよかさん」。
笑顔はとてもチャーミング。内面は、会話をしただけで心がじんわりあたたかくなり、一緒にいるとほっこり安心できるような、もっと話をしていたいと思わせるとても素敵な女性でした。
当時、「女性は太って写るのが嫌い」「女性は細く見られたい」
と言う認識を持っていた私は、あれこれ駆使しつつ撮影したのですが、私の技術・経験不足もあったのだと思いますが、あまり細身に撮ってさし上げることが叶いませんでした。
納品時には彼女の反応がとても気になり、気に入っていただけなかったらどうしよう、、、とドキドキしていたところ、メッセージが。
「主人が君らしいいつもの笑顔でとても素敵だねと言ってくれました!素敵に撮ってくれてありがとうございます!」
と喜びのメッセージ。
細身に撮ってあげられなかったと、反応にドキドキしながら待つ私にとってそのメッセージはとても衝撃的かつ感動的で、彼女からは大切な2つのことを学ばせていただきました。
1
「女性は細く写りたい」と言うのは、ある意味私の固定概念に過ぎず、自己肯定感は外見とは無関係のこともあること。「〇〇見られたい」は、まず本人の想いを聴こう。
2
女性は自分を女性として全肯定してくれる愛する人がいると、何にも囚われることなくありのままの自分を肯定できること。
1、に関しては、それ以降撮影前には「ヒアリング」をして、ご本人の思いを様々な角度から伺うようになりました。
2、に関しては、当時、元夫との関係に密かに悩み、女性としての自信など地に落ちていた私にとっては大きな気づきとなった出来事でした。
自己肯定感と写真撮影
自己肯定感と自分の写真。
どう感じるのか、どう受け止めるのかは
他者から見てどれだけ社会的地位や肩書きや能力があろうとも、どれだけ若く美しく魅力的であろうとも、他人にはわかりかねない領域です。
他者から見たらスリムで美しい人なのに、それを受け入れられない人。
他者から見たらふくよかさんなのに、気にせず自己肯定できる人。
前者において写真でできることは、やはりできるだけ自分らしさを保った上で美しい写真を撮ることに加え、ほんの少しでもコンプレックスが和らぐ絶妙な加工修正で寄り添うこと。もちろん、そのやりとりでの会話も大切。
その結果、少しずつ自信を取り戻せるなら、それで結果オーライ!happy♡
全ては自分を生きる過程だー!
全ては自己実現へ向かう過程に過ぎません。そのためにできることはこれからも積極的に取り入れたいと思います。
人は自信を取り戻し行動するうち、次第にコンプレックスに固執しなくなり、徐々に気にならなくなってくるものです。多くの女性たちを撮り、見てきて、それを確信しています。
誰もが完璧ではありません。
コンプレックスがあって写真が苦手な人も、なかなかアプリでの加工修正から離れられない人もみんなオッケー。人目を気にせず、「自分らしく」を追求してまいりましょう。ご一緒に。