2026-08-23
50歳を過ぎた私たちは、これからが本番なのかもしれない。
そんなことを言うと、「いやいや、若い頃とは違うよ」と思う人もいるかもしれません。
もちろん、私もそうです(笑)。
肌も変わる。体力も変わる。
鏡の自分を見て「あれ?」と思うことだって、がっかりすることだって、増えてくる。
いや、現在進行形で、増えている。
でも、15年間女性を撮り続けてきて、私はむしろ、年齢を重ねた女性たちにこそ感じてきたものがあります。
それは、その人が生きてきた時間は、ちゃんとその人の力になっているということです。

「当たり前」の中に、たくさんのものがある
私が撮影してきた昭和生まれの女性たちは、本当にがんばり屋さんが多い。
仕事をしてきた人。
家族を支えてきた人。
いくつもの役割を担ってきた人。
時に我慢することや、人に迷惑をかけないことを大切にする時代を生きてきて、もちろん、迷ったことも、泣いたことも、葛藤したこともある。
それでも、ここまで生きてきた。
その時間の中で身につけてきたものが、その人の中にはたくさんあります。
人を見る力。
自分を見る力。
誰かを思いやる力。
物事を乗り越える力。
決断する力。
簡単には動じない強さ。
でも本人にとっては、それがあまりにも「普通」になっていて、自分が持っているものに、自分だけが気づいていない。
撮影をしていると、そんなことを何度も感じます。
ところが、外見には自信がなくなっていく
一方で、50代、還暦、60代、70代と年齢を重ねていくと、
「シワが増えた」「しみも増えた」
「昔と顔が変わった」「太った」
「写真に写りたくない」
そんな言葉も増えてきます。
こんなにも積み重ねてきたものがあるのに、外側の変化によって、自分への自信まで少しずつ小さくなってしまう。
それを見るたびに、私は「もったいない」と感じてしまいます。
私が撮っているのは「若さ」ではありません。
私は、若さだけで勝負できるのなんて25歳くらいまでじゃないか、と思ってさえいますよ(笑)。
もちろん、若さには若さの美しさがあります。
これは本当にかけがえのない、素晴らしいもの。
でも、50代には50代にしかないものがある。
60代には60代にしかないものがある。
70代には70代にしかないものがある。
たくさん笑って、悩んで、泣いて、誰かを愛して、仕事をして、何かを乗り越えてきた。
その時間と経験したこと、心が震えたことは、ちゃんとその人の姿に宿っています。
私はそれを、何度もファインダー越しに見てきました。
若い頃の輝きが、まだ磨かれていない原石の光だとしたら、年齢を重ねた女性には、長い時間をかけて磨かれてきた宝石のような光がある。
若さ、という派手さはないかもしれないけど、その人にしか出せない華やかな光があります。
だから私は、年齢を重ねた女性の中に宿る光を探し、撮ることが好きなのだと思います。
「今が一番若い」
年齢を重ねると、どうしても「失ったもの」に目が向きます。
若かった頃の肌。体力。できなくなったこと。
でも、今日の自分は、これからの人生の中では一番若い。
その上、若い頃には持っていなかったものを、今の自分はたくさん持っています。
経験も、知恵も、人とのつながりも、乗り越えてきた記憶も。
そう考えると、50代や60代は、「もうこんな年齢」ではなく、こんなにもいろいろなものを身につけて、ここから何をしようか。
と考えられる年齢なのじゃないかと、そう思うんです。
だからと言って、「50歳を過ぎたら、何か新しいことを始めなければいけない」というわけでもないと思う。
夢を見つけなくてもいい。
大きく人生を変えなくてもいい。
ただ、
「私、結構がんばって生きてきたな」
と、自分が歩いてきた時間を一度眺めてみると、その中には、自分では当たり前すぎて気づかなかったものが、きっと、きっと、あると思うのです。
それを持った今の自分で、「さて、ここから何をしよう。」
そう考える、年齢を重ねた女性たちをみて、いつもとても楽しそうだと思っています。
楽しそうだ、と思って、いつも撮っています。
働く女性を撮り続けて、15年。
ファインダーの向こうで、そんな女性たちをたくさん見てきたからこそ、私は本気で思っています。
50歳を過ぎた私たちは、これからが本番なのかもしれない。
女性写真家チーム・一蓮托笑主催 清水貴子

